緒論

売春婦制度は、之を遠く古代史上にも見ることが出来る。ヘロドタスの記録に依れば、紀元前五世紀にパビロニヤの女神ミリツタの神殿に於て、凡ての女性が一生に一度は必ず女神崇拝のため、彼女の裳裾に賽銭を投げる最初の人に身を委ねたと云ふことである。又、或者はヘロドタスよりも遥か以前に、ポーチの時代にも、神聖な売淫が樹下に行はれたとも云ふ。之等は所謂「宗教的売淫」であって、東方諸国には早くから之が行はれ、埃及に於ては紳聖なる義務として、日の神フアラオの境内に少女は売淫を営み、祭礼に際してはナイル河の岸辺に男女が淫猥なる舞踏をなしたといふことである。ナウクチスの町は娼婦の町として名声を負ひ、其の名は遠くギリシヤにまで響いてゐた。

マグダラのマリアが、当時一流の娼婦であったことは何人もよく知れるところであらう。又カルデア地方でも宗教的売淫制度があった。パビロンに於てミリツタの神に詣でた女は必ず売淫をなすの義務があった。

ヘロドタスは幾度か此の光景を目撃したことを記してゐる。而して相手方を探し得ざる女は、幾年も境内を出ることを許されなかつた。アレクサンダー大帝が、パビロンを攻略した時は、此の風習の最も甚しかった時代と伝へらる。猶太でも亦早くから娼婦制度は発達してゐた。

モーゼの書によれば、基督以前八世紀頃に此の制度が出来て居た。当時の娼婦はエルサレム其の他の大都市に入ることを許されなかったが、七百人の妻と三百人の妾を有するソロモンの王朝時代に於ては、彼等は郊外の天幕生活を引き払ってエルサレムに入ることを許され、しかも寺院の附近に娼家は軒をつらねて居たと云ふ事である。

古代希臘に於ても、ドラコンの法典時代には生殖力を神秘的に考へ、其の清浄な力に依って自然の生産力を助長するものとして、又女は男と交はることに依って、其の種族に於ける動物や植物の蕃殖を致さす素であると考へ、之等宗教的売淫をなしたと伝へられて居る。

然るに、ソロモンの頃になると、もう雅典では娼婦の為に一廓がつくられ、其の収入が国家の財政を扶けた。其の頃コリントでは、雅典よりも甚しく低級な娼婦が、コリントの海岸に群集して船夫を客とし盛に情を鬻いでゐた。而して波斯との戦争以後は之等売淫を公然の制度とし、社会上なくてはならぬものと考へられるに至つた。

彼の、燦然たる希臘文化の裏面に於ける女子の侮辱は実に甚しきもので、イリアドに依れば男に「女」と云ふ形客詞を投げつけられることは甚しき侮辱として嫌はれたと云ふ。而て女子の貞操は最も厳重に監視せられ、妻は両親や夫の友人以外には何人にも逢ふ事を禁ぜられた。斯くして希臘の文化は一方に於て娼婦を作り、其の一方に於て女子を完全に奴隷としたのである。

ローマも亦、男子専断の下に女子をして屈従せしめた。殊に帝政以後の羅馬は一般道徳の廃頽と共に、娼婦をして市井に跳梁せしめ、風俗は極度に紊乱した。当時ローマには特許状を有する娼婦があり、彼等は官庁の取締を受け、租税を納入する義務を有し、Npanayiaと称する一定の娼家に居住して居た。而て此の特許状を有する娼婦には種々の種類があり、富人の相手をする者、貧民の相手となる者等様々であつた。

トラヤヌスの時代には、羅馬市中三万二千の娼婦が居たと録され、事実に於てはそれ以上に及んだと伝へらる。娼家にはヴエランダやバルコニーがあり、娼婦はこゝより客を呼んだ。此の形式の遺物は発掘せられた廃市ポンぺイに於て之を見ることが出来ると。

特許状を有せざる娼婦は我国の私娼に類するもので、浴場の湯女、踊子等様々あり、中には男娼の類もゐたと云ふ。而て之等は特許状を有せる娼婦よりも遙かに多かつたらしい。斯くしてイエリングの請へるが如く、政治、法律、宗敬に依つて、三度世界を征服し、天下の道は悉くローマに通ずとさへ云はれた彼自らは、其道徳的廃頽によつて遂に滅亡し去つた。如斯ギリシャ倒れ、ローマ亡びて幾千年、娼婦制度は共に時の支配階級たる懶隋階級によつて認められ、貧富の隔は、今尚之を維持して、世界を通じ、ローマ末期の廃頽を再現せしめつゝある。あらゆる迫害に対して百折屈せず、熱烈なる殉敬的精神によつて起つた初期基督教徒の清新なる貞操観念は、其の教を奉ずる処女をして衣を剥がれ、鞭打たれ、街路を引き廻され、娼家に投ぜられるが如き運命に遭ふも尚敢然として其の教義を廃することをしなかつた。かくして幾多の娼婦をして基督教に帰依せしめたりとは云へ、後代諸種の懐疑的議論を生ずるに至つた。而てニア宗教会議以前に流布したグノスチツク派の如き、オリエント社会観に対しても甚しく懐疑的で、或は性交を神聖とし、裸体の自然を説き、其の実行をすら試みたのである。而して、オーガスチンすら、売淫を廃すれば情欲の力は凡てを覆すだらうと云ひ、聖ゼロチも娼婦制度は已むを得ざる制度なりとて之を認めるに至つた。

斯くして近代的娼婦制度は、「売淫は警察、常備軍、教会及資本家階級」と同じく、ブルジョア社会には必要なる社会組織の一に数へられる。トマス・アクヰナスの如き「都市に於ける売淫の必要な事は、恰も宮殿に便所が必要であるやうなものだ、若し便所が穢ならしいと云つて取除けるなら、宮殿は遂に悪臭鼻をつく処となるであらう。」と云ひ、キョーエン博士は、「売淫は堪へ得る害悪であるのみならず、避くべからざる害悪である。夫れは女子を姦通から保護し、又貞操破壊から保護するものである。」と云つて居る。而て「之がためには国家は病毒に感染して居ない娼婦を男子に供給するため、厳重なる監視を必要とする」―(フオック博士)といひ、如斯くして今日の娼婦制度は確立したのである。フレツクスナーの「欧洲の売淫」によれば、巴里に約三万(或る者は十二万と云ふ)倫敦に約三万、(或る者は八万と云ふ)伯林に約二万、(或る者は五万)維納には三万、グラスゴーに一万七千、ケルンに七千、ムニツヒに八千の売笑婦があり、一九○三年現在の登録された淫売婦のみでも、巴里に六千四百、伯林に三千五百、漢堡に九百、維納に千六百、ブタペストに二千を数ふると記されてゐる。(村島帰之売淫論)

吾国亦、五万二千人の娼妓と、此外に七万五千人の芸妓、四万八千人の酌婦を有し、亀戸、玉ノ井の私娼窟のみにても千三百人の私娼が、夜毎日毎に、幾人もの男性の為に情欲満足の具に供されてゐる。而て、如何に救世軍や、矯風会や、廓清会一味によつて廃娼論が唱導され、幾人かの熱心なる代議士によつて公娼廃止法案が議会に提出されやうとも、「文明の進歩は漸次に売淫を巧に蔽ひ隠すであらうとも、永久に世界の終焉の日まで其の姿を消さないであらう。」と、ヒューゲルの言った言葉は今尚真理であらねばならぬ。而て、「娼婦制鹿は都市に於ける独身者を議論の中心としてゐる。即ち娼婦(売淫)を以て町の娘達を保護する護衛兵とし、貧困の多くは生活費の目当なくして無分別に結婚する結果である。故に国家としてはかゝる結婚を成立させてはならない。又そうした結婚からは教育の不足、不幸な生立ちのために、国家に対する反抗児を出すことが少くない、故に国家は之等結婚の成立を防止し、結婚に対する自由撰択がよく行はれる為に、結婚の補足物としての売淫が必要である」と彼等は弁護する。

更に聞くべきは、「売淫は男性のマソヒズムの所産である。即ち、男子が時に比較的無価値なる女の前に、自ら好んで屈することによって性的快感を味はうと云ふ、一種の衝動の所産である。」―(ブロツホ)とさへ云はれ男子は飽くまでも、性的に一種の狂人として考へられ、貧困を防ぐ為にも、良家の子女を保護する為にも、貧家の子女を驅って之等色奴の犠牲として人肉を供せねばならないとされて居るのである。総べてが男子專政の暴虐なる道徳観念であり、悉くが資本主義的、特権階級擁護の為の政治思想である。之を要するに近代的娼婦制度は、遠く之を古代社会に発し、其の根ざすところ実に社会組織の根底にふれて深く、其の問題たるや実に社会経済の発達に密接なる関係を有して、これが解決は甚しき困難に当面してゐるのである。

而て一方売淫の供給側より之を見るに、「娼婦は娼婦の原形的特徴を有って生れて来る、そして夫れは同時に堕落の肉体的基礎を持つ」とて、ロンブロゾーは先天的悪性を認め、それが犯罪人になったり娼婦になったりすると説き、(オツトーワイニングルは、女子を母型と娼型の二大類型に分けた。)次の如き売笑婦の変質的徴候を挙げてる居る。

一、頭の尖ったもの。

二、後頭の突出したもの。

三、顱頂骨の左右が不均整なもの。

四、中央後頭窩等のもの。

パツシニー氏調査によれば、中央後頭窩、顱頂骨の不均整、前額の狭きものを娼婦に多く見ると云はれ、又色情狂と売笑婦の著者沢田順二郎氏は売笑婦の特質として、

一、頸の太いこと、

二、腕の特に発達してゐること、

三、腰筋の特異に発達してゐること、

四、口唇の厚いこと、

五、生殖器の変化してゐること、

等を数へあげてゐる。然しながら斯かる生理的説明が社会制度として、娼婦制度を解釈するを得ざると同時に、後天的に娼婦が其の売淫生活の結果、退化作用により変質者となり、所謂、娼型と化すことを知らないものの議論である。

更に、彼等の別名が示す如く、地獄の生活と闇の女の生活と、これに堕ちて行く道程を知らないのである。今や廃娼問題は真実目なる人道問題として風教上、或は社会衛生上、政治問題として、且又社会問題として漸く社会の視聴を聚めつゝある。

貧しきが故に、父が、母が、其の愛娘を売り、姉の、兄の、妹の、弟の為に自らを売る。世に如斯き惨劇がまたとあらうか、朝に、夕に人の子の娘が、奴隷よりも甚しく、殆んど機械的に肉を売り、骨を削れ、震を虐殺さる。生きんとする脈々の精神が生きることを暹まれた時、男は盗み女は売る。娼婦制度は実に社会組織の根底にふれた重大なる社会問題である。

近代文明を謳歌するものよ。汝は汝が知らず生み下したる醜骸をかへり見て汗顔せざるや。ソロモンの栄華を誇りローマの権勢に驕る者よ、汝も亦汝の堕ち行く最後の世界と其の滅亡の国を知らねばならぬ。