鎌倉時代から室町時代へかけて顕著に発達した売淫制度は、足利末朝から戦国争乱の時代に至って一時退嬰せざるべからざる運命に逢着した。即ち群雄割拠と兵戦血なまぐさき時代を彩るに、奈良朝時代以来の安逸遊惰の所産たる売淫は余りに不似合であった。殺伐の気風は自づと之を拒み、戦場軍馬の巷には之に代るに美童を以てした。即ち女色に代るに男色の隆盛を来したる所以である。
斯くて此の時代には僅かに国々の駅路に下等なる食売女を見るに過ぎず、遊女は頓に減少したのである。
男色の起源は、遠く平安朝の頃にあり、藤原時代には僧侶の間に行はれ禁欲の僧侶が美童を寺院に擁してこれを愛したものであるが、源平及北条時代には一時頽れ、室町時代末期より戦国争乱の巷には再び此の風の旺盛を極めるに至った。
即ち嫁女のかはりに諸将は競って美童を戦陣に件ひ陣中戦塵を払はしめたのである。斯く戦士より初りて男色は一時大いに流行したものである。