貸座敷、引手茶屋及娼妓数竝に分布状態

一、貸座敷、引手茶屋数竝に分布

市内及郡部の遊廓、九ヶ所に於ける貸座敷、及引手茶屋は、市内貸座敷六百十九軒、引手茶屋六十三軒、郡部貸座敷百二十七軒、引手茶屋四軒、此の計貸座敷七百四十六軒、引手茶屋は六十七軒である。此の内、貸座敷の最も多いのは市内浅草区新吉原遊廓の二百九十四軒で、貸座敷総数の三割九分を占め、同深川区洲崎遊廓の二百七十二軒は之と相対峙して三割六分を占め、吉原に次ぎ両者は、帝都の南北に於て、共に東東に於けるに大遊廓を形成し、四谷区新宿の五十三軒は、遙かに下って〇割七分、四宿中での第一位である。之に欠ぐものは千住の四十七軒、〇割五分三厘、品川の四十三軒、五分八厘であるが、品川には引手茶屋四軒があり、之を合せば千住と同数になる。而て引手茶屋は新吉原四十三軒、洲崎に二十軒、前記品川の四軒の外には一軒もない。之が分布の数を表示すれば左の通りである。

各遊廓に於ける貸座敷引手茶屋数及百分比 (大正十四年十二月末現在)

組合又は地域等の区別 貸座敷 百分比 引手茶屋 百分比
新吉敷 二九四 三九、四一 四三 六四、一八
新宿 五三 七、一〇
洲崎 二七二 三六、四六 二〇 二九、八五
品川 四三 五、七七 五、九七
板橋 一二 一、六一
千住 四七 六、三〇
八王子 一五 二、〇一
府中 〇、六七
調布 〇、六七
七四六 一〇〇、〇〇 六七 一〇〇、〇〇

二、娼妓数及分布

二廓四宿、及其の他の遊廓三ヶ所に於ける、娼妓の総数は実に、五千百五十二人の多人数で、之が夜となく、昼となく、獣畜の賤しき営みをつゞけてゐるのである。今之が各遊廓に於ける分布の状況を見るに、最も多いのは市内浅草区新吉原の二千四十六人で、総数の四割〇分を占め、深川区洲崎の一千六百二人、三割一分、四谷新宿の五百四十七人、一割、品川の四百三十一人、〇割八分、千住の二百五十六人、〇割五分、板橋の百十四人、〇割二分之に次ぐ。

各遊廓に於ける娼妓数及百分比(大正十四年十二月末現在)

遊廓別 実数 百分比
新吉原 二、〇四六 二九、七一
洲崎 一、六〇二 三一、〇九
新宿 五四七 一〇、六二
千住 二五六 四、九七
八王子 九二 一、七九
品川 四三一 八、二七
板橋 一一四 二、二一
府中 六四 一、二四
五、一五二 一〇〇、〇〇

三、貸座敷、座敷数

貸座敷七百四十二軒に就て、座敷数を調べて見るに、十五室以上(至十六室)最も多く、全賃座敷数の約四割を占め、十五室以内之に次ぎ、三割二分、十室以内二割五分、五室以内は僅かに四分といふ割合である。

室数によりて分ちたる貸座敷数及百分比(大正十四年十二月末現在)

貸座敷数 百分比  
五室以内 二六 三、五〇
十室以内 一八三 四、六六
十五室以内 二三八 三二、〇八
十六室以内 二九五 三九、七六
七四二 一〇〇、〇〇

此の表について注意すべき点は、東京市内郡部に於ける遊廓の娼妓数とともに、部屋数の著しく他府県に比し少ないといふことである。

それには、新吉原洲崎等の遊廓の震火災罹災地区に於ける貸座敷が、震災後、何れも仮設建築家屋に依つて営業を行つてゐるが為め、それ等の貸座敷に於ける室屋数の減少も、著しく全体数字に影響を及ぼしてゐるに相違ないが、もつと根本的な原因は廻し制度の探用に外ならない。即ち一名の娼妓が同時に二名以上の客を探り得る制度の探用である。これが為め各貸座敷の部屋数は廻し制度をとらざる地方の貸座敷に比し著しく少くなる。然しそれとともに客一名に対し一室を提供するものとは限らない。即ち後にも述べるが、割部屋又は割座敷と称して、一室を枕屏風によつて仕切り、甚しきは三畳に二人、又は三人を押込め、娼妓は部屋から部屋へと、巡廻して客に応接するのである。若し此の制度にして廃されるならば、東京府下の各貸座敷は、現在の遊客数に対し三倍乃至四倍の部屋と娼妓数を必要とするであらう。

四、貸座敷雇人

貸座敷雇人とは、見世番と称する番頭と、その補助を為すところの立番、更に立番の候補者として帳簿の取扱ひをする床番屋内の掃除、風呂番等の追廻し、其の他仲どん、おばさん(ヤリテ)仲居等であるが、男の雇人を妓夫又は妓夫太郎と称してゐる。

これ等、雇人の数は貸座敷の大小に依つて異なり、娼妓数の多少に関係してゐる。即ち多数の部屋と娼妓を有する娼家に多く、然らざるものに尠いのは当然であるが、又一方に、その貸座敷の盛衰の如何によつても多大の影響がある。即ち、繋盛なる娼家に多く、然らざるものに尠いといふことは何人も首肯されるであらう。

然しながら、全体から見て貸座敷には必要以上多数の雇人を使用してゐるのではなからうか、これが為に、遊客に対し多額の遊興費を請求し、その外に祝儀心附けまで強要(暗にではあるが)する。

今東京市内及郡部に於ける雇人の数を調べて見るに次表の如くに、

雇人数によりて分ちたる貸座敷数及百分比

雇人数別 貸座敷 百分比
無人
一人 二七 三.六六
二人 八五 一一、五三
三人 一〇八 一四、六五
四人 一一八 一六、〇一
五人 一一〇 一四、九三
自六人至九人 二一九 二九、七二
自一〇人至一四人 三五 四、七五
自一五人至一九人 三四 四、六一
二十人以上一 〇、一四  
七三七一〇〇、〇〇  

最も多いのは、六人以上十人未満で、次は四人、五人、三人、の順序であるが、五人以内及五人以上、各五人別にすれば、五人以内に最も多く、六人以上十人未満之に次ぎ、人数の増加に反して貸座敷数は激減してゐる。又五人以上及以内に分ちては、五人以内よりも、五人以上が多いのである。而て、如斯貸座敷が多数の雇人を要すといふことは、一に同業者間の競走によるとも見られるが、他面廻制度を探用してゐるといふ点にもかゝつてゐる。

即ち部屋の外に廻部屋があり而も廻部屋は娼妓共用になつてゐるため寝具の運搬其の他敵娼のゐない間の客の相手等如何にしても雇人数は増加し易い状態に置かれてゐることも考へねばならぬ。

五、貸座敷一軒に於ける娼妓の数

市内、及郡都に於ける貸座敷一軒に於ける娼妓の数は、普通四人乃至八人が最も多く、その中でも六人といふのは百二十三軒、一割七分で第一位を占め、五人、百〇二軒、一割四分、四人、九十四軒、一割三分は之に次ぎ、七人と云ふのは八十八軒で、一割二分、八人の七十五軒、一割、以下九人五六人、十人十一、二三人の順位に於て、二十人以上といふのに至っては僅に二軒(吉原、成八幡楼、洲崎、井筒楼、各二十一人)のみである。

娼妓数によりて分ちたる貸座敷数(大正十四年十二月末調)

娼妓数別貸座敷数 百分比  
一人 〇・五四
二人 一五 二・〇二
三人 五〇 六・七四
四人 九四 一二・六七
五人 一〇二 一三・七四
六人 一二三 一六、五八
七人 八八 一一・八六
八人 七五 一〇・一一
九人 五六 七・五五
十人 四三 五・八〇
十一人 三〇 四・〇四
十二人 一九 三・五六
十三人 一六 二、一六
十四人 一・〇八
十五人 〇・九四
十六人 〇・二七
十七人 〇・六七
十八人 〇・四〇
二十一人 〇・二七
七四二 一〇〇・〇〇