娼妓の教育程度は、普通尋常五年修了、又は六年卒業程度で、これが3割8分を占め尋常三四年半途退学之に次ぎ2割4分甚しいのは尋常小学一二年中途退学者が1割8分もあり全然無学のものが1割6分を占むる。而て高等小学三年程度3分、中等学校まで行ったものは真に少数者にすぎない、女学校を卒業したものは1人もなく、三四年程度の者僅に3分5厘であった。即ち娼妓の大部分は貧困なる家の娘である為に教育程度も低く、女学校中途退学者にありては途中落魄した家の娘に限られて居る。威八幡楼と、如何アム、マインめ、糊口の為め(パランジユ・シ
| 学修程度 | 娼妓 | |
|---|---|---|
| 実数 | 百分比 | |
| 無学 | 818 | 15.88 |
| 尋常一、二年 | 931 | 18.07 |
| 尋常三、四年 | 1,234 | 23,95 |
| 尋常五、六年 | 1,962 | 38.08 |
| 高尋一、二年 | 176 | 3,42 |
| 女学校一、二年 | 18 | 0.35 |
| 女学校三、四年 | 13 | 0.25 |
| 女学校卒業 | ― | ― |
| 計 | 5,152 | 100.00 |
これを其の昔、琴、三味、生花、茶の湯から、碁将棋に至るまで、深き心を持ち詩を読み和歌を作り書を良くし、漢詩を賦すものすらあつた遊女に比するとき、如何にも表看板一枚の腐肉切売業たるかを思はざるを得ない。「安直、簡便、思ふままに性の満足を得る」これが今日売笑婦に対する嫖客の要求である。其の何れの時代が優れてゐたかは別として如何にも近代的なるかを思はざるを得ない。
次に掲げる数字は紐育の売笑婦2千人に就いて調べたものである。
| 能く書を読み文字を書き得るもの | 714(人) |
| 不完全に読み文字を書き得るもの | 546 |
| 僅かに読み文字を書き得ざるもの | 217 |
| 無教育者 | 523 |
| 合計 | 2000 |
又仏蘭西では貧窮者の子女は無月謝で教育を得けることの出来る法があるにも拘はらず、其の売淫婦の如き殆んど教育を受けてゐるものはなかったそうである。
更にヂリヘル氏が1910年から、1912年に亘ってフランクフルト、アム、マイン病院の生殖器科に来た150人の売淫婦に就て調査したものによると、病的徴候を認めぬ者は此のうち僅かに44人で、痴愚及び白痴の者は48人、精神病性の者は36人、ヒステリーと痴愚の合併症の者は16人、といふ数字を示し酒毒のもの3人、神経病の者1人、診断不明の者5人であったといふ。(沢田順二郎著色情狂と売笑婦)
更にパランジユシヤトレー氏の衛生倫理行政上より観察したる巴里公娼論に、巴里に於て生れ生長せる公娼4470人中
| 全く署名し能はざる者 | 2332 |
| 拙く署名し得たる者 | 1780 |
| 巧に署名したるもの | 110 |
| 不明 | 248 |
| 計 | 4470 |
である。然しながら公娼の教育程度を判断するに、娼妓簿登録の際に於ける署名巧拙を以つてするのは、少しく妥当を欠いてゐる。即ち、初めて娼妓名簿に登録される時多くの婦女は大なる感激に戦き、能筆なる者も住々署名すらなし得ずなるもので、その最も感激するものには教育ある者、又は醇良の家庭より出でたる者であらう。