署よさにいくたり枕かはすかと きく人のあり我耳をおふ
これは、柳原白蓮女史の八重桜と題する十首の短歌の中の一つである。何人が調べたのか知らないが吉原の接客数のレコードが三十八人であるといふ。真偽は知らないが、紋日などになると一日の接客は六七人乃至十四五人に及ぶ事があるとは娼妓自らの告白である。(平均客数は二人)かうした有様であるから自然と生理的にも欠陥を生じ、「我れさき子を抱きてあれば生涯を母ともなり得ぬ身ぞとも云ヘり。」
「子を生む健康さへも失へりと、其の人の年二十一」と云つた結果を見る。
「二十一の年よりませて世の中の月を呪ひ世を呪ふ」声さへも、多くの娼妓には口から先へ出ない程の哀れな日常の生活に鞭打たれ、酷き使はれるのである。
(これは吉原を逃け出した娼妓が柳原白蓮女史、許に走つた時女史の口をついて出た深い悩みの歌である。)
彼等の生活は八時頃朝帰りの客を帰へしてから後、十一時乃至十二時まで寝るのが普通で、娼妓は寝る間も稼がされるのである。昼前に起きて顔を洗ふ、そして朝食と昼食が一度に済むと部屋に寝そべつて寿司のつまみ食ひや巻煙草など煙らせながら世間話に花を吹かせる。世間話と云つても大ていは昨夜の客がどうしたとか「いろ」がどうのと、実にくだらない話である。昼の客は比較的少い、夕方がくると風呂に入る、それから化粧である。化粧がすむと又夜の世界がおとづれる、とかうした生活の間に日がたち月が過ぎ借金が増して行く。
「娼妓に誠がない」と云ふ勿れ荒野の中にも花が咲く、浮き川竹の売笑生活にも恋はある。勤めの中にも亦情夫があり、愛人がある。彼等は出まかせな嘘八百を並べる。しかしながらそれは嫖客が二六時中嘘又嘘の出放題だからである。互ひにその場限りであればそれも仕方がない。だから初会(初めて)や裏かへし(二度目)の客に対しては彼等とて誠の愁訴もせぬば真実の生活をあかそうともしない。しかし一旦思ひ込んだが最後彼等の恋程真剣であり、命がけのものはないであらう。情夫の為に衣類諸道具果ては部屋の茶箪筒まで持ち出す、そのはては逃亡である。つかまればそれこそ命まであぶない。それでもたまにはかうした逃亡者もあるのである。娼妓の情夫それは堅気の商人や勤め人には少い、多くは水稼業に近い職人―と云ったやうなものである。
次に登楼客の種類であるが貨座敷には登楼人名簿といふのがあつて登楼客について左の如き名簿を作製するやうになつてゐる。
| 登楼月日 | 住所 | 姓名年令 |
| 容貌及所持品 | 其他 | 身丈尺寸 | 色口 | 耳鼻 | 着物 |
| 消費金額 | 回数 | 娼妓名 |
これによれば、登楼者がどんな種類の人か判別がつく筈である。然しながら此の名簿たるや実にいゝ加減のものであつて客によれば偽名も使ふし、又楼主の方でそれを承知で書き入れもするのであるから、これによつて調べることは困難である。然しながら大体に於て十七八歳乃至三十歳位の比較的独身者に多いであらうことは想像がつく。登楼客の職業等についても大抵は出鱈目であるから調査しても全然何にもならないが、重にこれは遊廓の所在地と密接なゐ関係を有して居る。例はそれが品川の如きであれば船員職業労働者、洲崎であれば勤め人、兵隊、商人、労働者と云つた有様で、大概中流以下の者に多いのである。之等の敵娼は若い者には海山千年の古狸を出し、中年者には若い娼妓を出す。それは若い者の心をとらへ老人の趣味にかなへる事に於ける「やりて」の腕前である。うまく配合すれば又二度も三症も来るが、配合が悪ければそれきりでこれも営業政策から出たものであらう。
今警視庁に於て、大正十四年及十五年の各一月一日以降十日までの間に於ける諸営業即ち料理屋、飲食店、喫事店、興行場、貨自動車、待合茶屋、貨座敷等に於ける遊客の状況調査をなした由、貨座敷の分を抜載するに次の如き数字を見ることが出来る。
| 大正十四年(自一月一日至一月十日) | 大正十五年(自一月一日至一月十日) | |
| 官公史 | 二、七六七 | 五、二六六 |
| 軍人 | 四六八 | 一、二六五 |
| 会社員 | 二一、〇八七 | 二四、四二四 |
| 学生 | ― | 八一 |
| 商人 | 三六、九四六 | 四九、六五〇 |
| 職工 | 三三、三一六 | 三一、三七五 |
| 労働者 | 二、五二九 | 五一、六一六 |
| 其の他 | 一○、二五六 | 七、六六一 |
| 計 | 一〇七、三六九人 | 一七一、三三八人 |
| 商高 | 五一六、三六七円 | 七〇〇、八三六円 |
| 一人消費額 | 四、八〇 | 四、〇九 |
然ら、ば如向なる娼妓がよく売れるであらうか、それこそ十人十色で「たで食う虫も好きずき」である。性質温和な女を好くもの、伴天連女、あばずれものの類を好むものと一様にはわからないが、たゞよぐ売れる妓について少しく調査べたところを総合して考へるに娼妓の売れ不売れは大体に於て、
大体以上の如き諸関係により流行つ子とさうでない妓とが別かれるのである。たゞこゝに挙げた中で伊達引きと云ふことである。これは例へば今夜遊んで行かうと思ふが銭がないといふ様な場合或は不足の場合等があつても嫌な顔をせず娼妓の方で立て替へて遊ばせるといふ様なことをするのである上手なのになると規定の時間が来て帰らうとすると今夜は是非宿つて行けといつて引きとめる客の方で銭がないからと云へばそれでは私がたてかへるからと云つて朋輩から借りて来てそつと客に渡して勘定を払はせる。これは娼妓の手管のうちでも最い凄い方で一つ間違へば貨した金が返らぬ事もあるが又これがためにのぼせあがつて来る客もあつて結局娼妓の方で利益を取るのである。
次に娼妓取締上から見たる生活状態を述べやう。娼妓は外出する場合は貨座敷引手茶屋娼妓取締規則(警視庁令)第三十八条により、警察に届出ぬばならないことになつてゐる。それが其の日限りであり、警視庁管下である場合は口頭で以て届出ででれば大抵許可される。然しながら若し外泊する場合は左の様式により警察署に届出ることになつてゐる。
而してこれには事由を証すべき書類及物件を添附せねばならない。例へば近親者の病気とか死亡とか云つたやうなことを証明すべき書信又は物件をこれに附して届出れば許可されるのであるが、此の場合に於ては組合の事務所と警察とに届出ねばならないのである。又病気にかゝた場合も同じで、これは警視庁病院に入院するのであるが、若し重体である場合は廓外に於てこれを養生させることもある。これ等の諧届様式は次の如く、
浅草区新吉原 町 丁目 番地
貸座敷 楼 方番食
娼妓
明治 年 月 日生
右御許可被成下度以連署及御願候也
大正 年 月 日
右本人
貸座敷
殿
添附書類 事由ヲ証スヘキ書類及物件
浅草区新吉原 町 丁目 番地
貸座敷 楼 方寄寓
娼妓
明治 年 月 日生
右寓所外休業御許可相成度以連署此段及御願及也
昭和 年 月 日
右本人
貨座敷
浅草日本堤警察署長
警視××××殿
注意 病気ノ場合ハ診断書其他ノ場合ハ休業ノ事由タルべキ証書添附ノ事
浅草区新吉原 町 丁目 番地
貨座敷 楼 方番寓
娼妓
妓名
明治 年 月 日生
右寓所外休業継続御許可相成度以連署此段及御願候也
昭和 年 月 日
右本人
貨座敷
浅草日本堤警察署長
警視 殿
注意 病気ノ場合ハ診断書ヲ貼附ノ事
浅草区新吉原 町 丁目 番地
貸座敷 楼 方寄寓
娼妓
明治 年 月 日生
右寓所外休業場所変更御許可相成度以連署此段及御願候也
昭和 年 月 日
右本人
貨座敷
三業取締 ××××殿
而て病気が全快して帰廓した場合は、又次の如き就業届を出すやうになつてゐる。(書式は二通作製して一通は組合事務所に届出るのである。)
浅草区新吉原 町 丁目 番地
貸座敷 楼 方寄寓
娼妓
妓名
右者大正 年 月 日ヨリ寓所外(疾病)休業中ノ処本日ヨリ就業致候間以連署此段及御届候也
昭和 年 月 日
右本人
貸座敷
浅草日本堤警察署長
警視××××殿
注意 娼妓健康証及ヒ休業許可証必ス貼附スルコト