公娼の末路

若い血肉を汚かしてしまった果、公娼は何処へと自分の生活を求めてゆく、放縦になれて、労働くすべを知らぬ女は、どの道人妻にもなれねば、職業婦人として一人身すぎも出来ず、ヤリテ婆か、辻淫売といったところが堕ちであらう。今巴里の公娼九百七十二人の廃業者に就いて調査せるところを見るに次表の如く巴里に於ける公娼の末路一覧表

栽縫、刺繍、手袋工、縁総工、薄紗工、組物工人 三九二
公娼房の主婦 一〇八
洗濯女 八六
露店商 八三
屑屋 四八
化粧品商、花売商 四七
牡蠣打 四七
粧飾品商 三三
帽子商、靴商 二八
金属商工 一九
毛蒲団、梳毛工 一七
巴里又は地方の女優 一七
製本癲 一四
産婆 一三
病院看看婦 一一
川番
寄宿舎音楽教師就職

又二百四十七人につき調べたるところによれば

雑貨店、香料店 五三
果物店 三七
流行品店 三七
香菲店、銘酒店 三三
化粧品店 二七
家具附室貨 一九
小金物店 一九
料理屋 一二
下宿屋
文学書縦覧所
印紙売捌店
煙幕店開業
  二四七

雇女の内訳

料理屋雇女「レモン」屋、葡萄酒店、旅館 六九
旋盤工場、黒檀細工師、指物師、錠前師 四九
野菜店、果物店、麺麭製造所 四七
官吏、金利生活者 三三
富豪の伝姆、室附下婢 二八
司法官、弁護士、医師、書工 一九
問屋、製造家 一九
退役将校 一六
老人、廃疾者の看護人 一四
大問屋の店員計算掛
学校寄宿舎
届主不明 一五三
四六一

右二表に依れば、廃業後就きたる娼婦の職業分明なるもの一千六百八十人である。然しながら十年間に除名された公娼総数五千〇八十一人に比するに、三分の二は行辺全く不明となつてゐる。

尚公娼が除名された理由について観れば

死亡|四二八 慈善なる貴婦人、其他の保護にて故郷に還る|二三九 諸国に確定的移住の為正式の旅行券を受く一二〇六 懺悔庵又は養老院に入る|三一九 両親の家庭に入る|二五四 処罰|一八五 廃業的廃疾|一七七 憲兵により故郷に護送|一三〇 結婚|一三一 国庫又は個人より、年金を受け居る為め、其他生計確立証明の為め|一一四 先方の所望により、富豪の妾となる|一〇三 「サンドニー」監獄に移送|九一 己れが見棄てたる夫に再婚|二八

死亡者四百二十八人中の内訳は次の如くである。

己れの住所に於て 五六
監獄の病室に於て 一〇八
巴里の諸病院に於て 二六四

己れの住所にて死亡せし五十六人中原因不明、二人に暗殺されたもの、自殺六人、廃業的廃疾の為め、除名されたる百七十七人は次の如く

健康状態の一般不良 七〇
癲癇其他神経病 三二
早老 二八
老衰 一七
失明又は視力減退 一五
泡状疹。(全身)
舌潰瘍
上膊膜破壊

尚結婚の為め除名されたる百三十一人の公娼については次の如く

夫の職業不明|六六 指物師、杣夫、石炭運搬夫、染工、靴工、印刷工|二七 日雇労働者|一七 牛乳屋、陶器工、果物店主|一一 葡萄酒店主、居酒屋主|五 好地位を有する人士(明記するを憚る)|五 結婚の為め除名を求めたる百三十一人の内 独立せる自前稼公娼|九一 公娼房の抱へ公娼|四〇

といふ区別を知り得たが、公娼を娶りたる三十一人の男子中、五十三人は公娼と同町、又は同棟内に住居してゐた者である結婚せる公娼中

一五歳―二〇歳 二五
二〇歳―二五歳 一八
二五歳―三〇歳 一〇
三五歳―四〇歳

右は公娼の業に就きたる年齢であって(其他不明)

一五歳―二〇歳 一九
二〇歳―二五歳 一二
二五歳―三〇歳 一五
三〇歳―三五歳 一八
三五歳―四〇歳 三(其他不明)

となつてゐる。

(ジユ・シヤトレー巴里公娼論)

我が国公私娼の末路については既に述べて置いた、たゞ我が国にはかくの如く統計的資料は今のところ一つもないので遺憾ながら数字を上粹することが出来ない。