欧米の遊覧客が、我国に着いて先づ見やうとするのは、(日本ムスメ)の本家たる吉原である。吉原には三千余の娼妓が、(どうぞ御覧下さい)と、云はぬばかりに、裲襠姿美しく、金ピカの緞帳を背に居ならんで居たものだが、これは一面娼妓にとって堪へ難い屈辱であり惨忍きわまりなき制度として、人道上諭議さるゝところとなり、東京先づ之を廃し各地共にそれを習ふやうになった。而しながら、未だかゝる張店の制度が残って居るところがある。即ち、震災前に於ける横浜の真金町遊廓の如きものである。而し現在は夫れもなく東京を初め全国に於ける遊廓の殆んどは写真にかへられて居る。
写真の陳列してある店は、大抵入口の左か、右の一寸奥まったところが車座になってゐる前に、池か何かを作り、金魚や、緋鯉を泳がせて、一寸した花などが生けてある。客はこの写真を見て敵娼をきめるのである。
部屋は各地方の情況、警察の規定等によって様々であるが、普通本部屋と廻部屋とある。前者は六畳、八畳位の間であって箪笥、茶箪笥、長火鉢、鏡台等が置いてある。第一流どころに行けば、生花や軸物がかけてあり、此の部屋が娼妓の部屋であり営業所である。而しながら、此の娼妓の部屋といへ共客のあるときに限られて居て、客のない時は別の部屋に寝かせるのである。そして冬など如何に寒くとも、客がなければ火にも当れず、客があるときやり手が持って来でも、帰ればさっさと持って行って了ふのである。夫れがため娼妓は楼主に隠れて、木炭を火鉢の引出しなどに隠して置き、密かにこれで寒をふせぐ向もあるとのことである。
廻し部屋といふのは、行燈部屋、豚小屋などゝも云ひ、やはり一流どころと、二流、三流どころによって相違があるが、一二流どころで、三畳一室にに破れ障子といった部屋がいくつも並んでゐて、室にに電燈一個と云ふ気な部室で、寝具など前者は萠立つやうな絹、又はめりんすの柔いものであるが、後者は勿論木綿で、夏などは汗でグシヨヽといつた有様で、その不潔な事は全々豚小屋である。吉原でも大きな妓楼になると廻し部屋の扱びをしないところもある。
此の廻部屋と同じ様なもので割部屋といふのがある。四畳半一室を屏風一枚で仕切つてあつて、同じ部屋に二人の客を案内するのである。如何に商売であるとは云へ、而して又性交の遊戯場であるとは云へ、別客の吐く息、引く息の一つ一つがはつきり聞き取れるやうな所で、淫を鬻ぐといふ事は余りに浅ましい人間の世界でなければならぬ。
次は便所である。これも第一流どころに行くと、昇汞水などの衛生設備も出来てゐるが、二流、三流どころになると消毒備ももなく、酒気をおびた悪臭がむつと鼻をつく、其の不潔な事は又お話しにならない。
上図右は吉原娼妓の盛装。その側は禿である。同左はその「道中」の有様であり、下図は未だ張店の禁止されない前の廓内のスケッチである。